妊婦さんにはインフルエンザの予防接種が大事です。ということで予約を入れてるも早い病院で2週間待ち・・・。待ちました。接客業なのでできる限りマスクをし、ご家族様にもうがい手洗いを徹底していただき何とか過ごしてまいりました。
実はこの病院、お義父たまの入院している病院であります。お義父たまは平成14年2月にに夜の繁華街で転倒、頭蓋骨骨折による外傷性くも膜下出血・硬膜外血腫・脳挫傷で半身不随となられました。
まー嫁に来て早4年目にして介護に突入!!
2年半毎日、お義母たまはお昼から電車でわたくしたち夫婦が仕事帰りに迎えに行って帰りに外食。の繰り返し。そんなお義父たまが自宅介護になったのが平成16年の7月。
入院当初の病院の男性看護師からは「いくらリハビリしても無理だね。無駄だよ。」と痛い言葉をいただき(実話です。)その後転院。その言葉にムカついて毎日通ってお義母たまと交代でマッサージを繰り返しておりましたら退院時には補助装具を付け声を掛けられながらなら2メートルほど歩けるまでにはなりました。
マッサージのおかげで関節が固まらなかったことが良かったとリハビリの先生に言ったいただきちょっとだけ救われた気分。ただ、脳に傷があるので自分が歩いていることをついうっかり忘れてしまい、1人で歩くのは無理だけど立ってもらえるだけでかなり楽。
脳の外傷で話があちこち飛んでまだ仕事に行っているつもりで明日出勤すると言うのを「明日はお休みの連絡が来ましたよ。」などとごまかしたり、ご自分の年齢が40歳だったり50歳だったりとその時々に話を合わせたり。戦中の話や仕事の話や脚色が付いたり内容が違っていてもいつも楽しそうに話してくれて。
あーなつかしー、おむつ換えたなー、食事も食べさせて、おんぶして車に乗せてお花見に行ったり、車いす押してバルーンも見に行って・・・なんか子育ての練習させてもらってた感じ。
平成22年8月、てんかんの発作で今の病院に入院。だんだん意識が低下してきて眠っていることが多くなってきたので車いすにも乗らなくなり、長時間面会することがなくなり週2回ほど洗濯物を持ってきたときに声をかけて起きていれば昔話をしたり。少しづつ自分たちの時間が取れるようになってきた。
そう、これがもう一つの不妊治療を始めたきっかけ。または、不妊治療が遅れたきっかけ。やっぱり、始めたきっかけかな。わたくしたちには、このタイミングだったのでしょうね。もっと若いとアダムは嫌がっていただろうし、わたくしも精神的に強くなかったでしょう。介護を通してなるようになる、なんとかなるなる精神が強化されたのだから。
誤嚥で3週間ほど熱が出たり下がったりを繰り返し。肺炎ではないものの少しづつ体力が低下していてのどの通りが悪いので投薬と高栄養点滴で様子見。今後の治療方針を決めるためアダムとお義兄たまが呼ばれたのが11/1のお昼。偶然にも予防接種も11/1の朝。
わたくしとお義母たまが予防接種後に会いに行き「また来るよー。」と声をかれると「あー。」とお返事。その後、お義兄たまより先についたアダムが声をかけると「あー。」と目を開けたそうです。予防接種を受けに受付に行くと到着したお義兄たまから「早く来い、急変した。」との電話。
待っていたのでしょうね。お息子二人に見送られて安らかに旅立たれました。ただちょっとだけ、ちょっとだけ心残りなのは赤ちゃんを見せたかったな。(妊娠6か月)
リアルタイムでは明日が一周忌の法要です。心も落ち着いて日々過ごしております。
次回 第108話 通夜と葬式と大きなお腹と笑い声