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2013年10月

2013年10月30日 (水)

第109話  性別決定!!

 11/12 25w4d定期健診でやっとこさ性別の確認ができました。今までponちゃん(胎児の愛称)はきつくオマタを閉めていて「絶対に見せてやらん」の状態だったので先生も「今日もみえませんね。」の繰り返し。

 

別に性別がわかったところでどうということはないのですが、もうおさがりをいただいたので性別によりまた次の方におさがりしないと収納がいっぱいになっています。それでは発表します。

 

男の子です。

 

えー!えー!男の子?なぜ驚くかというと先生に始めのうちは「女の子かも」と言われていたので刷り込まれていたみたいで自分でも驚いていることにびっくり。今日はきれいにタマタマが見えました。間違えようのないしっかりした〇が2個。

 

服の選別をしましょう。見るからに女の子の服は次の方に。100センチの大きいものは箱詰めにして来年かな。残ったものは思ったより少ない。やっぱり刷り込まれていたので声をかけたのが下が女の子のお母さんでした。お兄ちゃん達のは大きい。

 

よし、男の子のお母さんに声をかけておきましょう。使えるものは使わせていただきます。

8/13 12w4d   BPD 22mm    左向き

8/27  14w4d   BPD 27.9mm  右向き

9/10  16w4d   BPD 35mm  左向き逆子ちやん

9/24  18w4d   236g    下右向き

10/5  20w1d   323g    右向き

10/29 23w4d  598g    下左向き

11/12 25w4d  832g       下右向き  男の子決定

忘れないように今までの経過を書いておきましょう。

 

11/14 鼻水だーっ。風邪かな? 早退します。薬が飲めないのでお布団に丸まって寝ました。次の日には治った。

 

次回   第110話 おっぱいがかゆーい。頻尿、夜3回。  

2013年10月19日 (土)

第108話 通夜と葬式と大きなお腹と笑い声

11/1の夜は仮通夜。菩提寺のお上人に枕経をあげてもらい通夜・葬式の算段。斎場の担当は、お義兄たまの幼馴染。お義父たまのこともよく知っていたので「ぼくに任せろー。」と仕切る。大変、助かりました。この日はお義母たま、お義兄たま、アダムと親子水入らずで斎場にお泊り。

11/2 19時 通夜はしめやかに過ごすはずが隠すに隠せないお腹なものでお悔みと同時にお祝いの言葉をいただきます。「お悔みの席でなんだけどおめでとう。」「お義父さんも喜んでいるからいいでしょう。」などと言われて悲しみが和らぎます。お上人も昔から知っているので通夜の後の説法を30分もお話していただきました。大変良いお話だったのですが長い。内容は涙ものでしたが長い。この日はお義兄たま家族とお義母たまがお泊り。

 

11/3 12時からお葬式。一番悲しんでいたのは他でもないアダムであります。わたくしの前でさえ泣いたことがないのにポロポロ涙が出て止められない。それを見るとなおのこと場を和ませなければとわたくしはお義父たまとの昔話で笑いをとることに精を出す。

 

滅多に会わない遠方の親戚や知り合いの方たちに妊娠の報告ができたのもお義父たまが機会を作ってくれたのだと思うともっと精を出すのであちこちで笑いが起こる和やかなお式になりました。笑いすぎてちびった。

お義母たまはといえば急なことで、悲しみよりも喪主としての忙しさに追われそれどころではなく動く、動く。後で電池が切れたように動けなくならないといいけど。

 

ただ、わたくしには予感がありました。亡くなる1週間くらい前から何となくですがそわそわしたものがありまして、アダムには言えませんでしたが。そこでわたくしお義父たまの遺影のデータを製作していました。

 

当日、急遽作ると大体良い写真がなくて後で作り直される方が多いのを仕事柄知っておりますので、できる限り良いお顔の写真を探し出し、喪服に着せ替え、バックを消す。本職ですから気に入るまで微調整して後はプリントするだけの状態にしておきました。

 

お義父たまのちょっとはにかんだような笑顔。わたくしがお義父たまにできる最後のご奉公でございます。合掌。

 

あっ、前かがみができない。落とした数珠が拾えない。まてまて。

 

次回   第109話  性別決定!!

2013年10月 5日 (土)

第107話 急変、お義父たま亡くなりました。もう一つの不妊治療のきっかけ。

 妊婦さんにはインフルエンザの予防接種が大事です。ということで予約を入れてるも早い病院で2週間待ち・・・。待ちました。接客業なのでできる限りマスクをし、ご家族様にもうがい手洗いを徹底していただき何とか過ごしてまいりました。

実はこの病院、お義父たまの入院している病院であります。お義父たまは平成14年2月にに夜の繁華街で転倒、頭蓋骨骨折による外傷性くも膜下出血・硬膜外血腫・脳挫傷で半身不随となられました。

 

まー嫁に来て早4年目にして介護に突入!! 

2年半毎日、お義母たまはお昼から電車でわたくしたち夫婦が仕事帰りに迎えに行って帰りに外食。の繰り返し。そんなお義父たまが自宅介護になったのが平成16年の7月。

 

入院当初の病院の男性看護師からは「いくらリハビリしても無理だね。無駄だよ。」と痛い言葉をいただき(実話です。)その後転院。その言葉にムカついて毎日通ってお義母たまと交代でマッサージを繰り返しておりましたら退院時には補助装具を付け声を掛けられながらなら2メートルほど歩けるまでにはなりました。

 

マッサージのおかげで関節が固まらなかったことが良かったとリハビリの先生に言ったいただきちょっとだけ救われた気分。ただ、脳に傷があるので自分が歩いていることをついうっかり忘れてしまい、1人で歩くのは無理だけど立ってもらえるだけでかなり楽。

脳の外傷で話があちこち飛んでまだ仕事に行っているつもりで明日出勤すると言うのを「明日はお休みの連絡が来ましたよ。」などとごまかしたり、ご自分の年齢が40歳だったり50歳だったりとその時々に話を合わせたり。戦中の話や仕事の話や脚色が付いたり内容が違っていてもいつも楽しそうに話してくれて。


 あーなつかしー、おむつ換えたなー、食事も食べさせて、おんぶして車に乗せてお花見に行ったり、車いす押してバルーンも見に行って・・・なんか子育ての練習させてもらってた感じ。

 

平成22年8月、てんかんの発作で今の病院に入院。だんだん意識が低下してきて眠っていることが多くなってきたので車いすにも乗らなくなり、長時間面会することがなくなり週2回ほど洗濯物を持ってきたときに声をかけて起きていれば昔話をしたり。少しづつ自分たちの時間が取れるようになってきた。

 

そう、これがもう一つの不妊治療を始めたきっかけ。または、不妊治療が遅れたきっかけ。やっぱり、始めたきっかけかな。わたくしたちには、このタイミングだったのでしょうね。もっと若いとアダムは嫌がっていただろうし、わたくしも精神的に強くなかったでしょう。介護を通してなるようになる、なんとかなるなる精神が強化されたのだから。

 

 誤嚥で3週間ほど熱が出たり下がったりを繰り返し。肺炎ではないものの少しづつ体力が低下していてのどの通りが悪いので投薬と高栄養点滴で様子見。今後の治療方針を決めるためアダムとお義兄たまが呼ばれたのが11/1のお昼。偶然にも予防接種も11/1の朝。

 

わたくしとお義母たまが予防接種後に会いに行き「また来るよー。」と声をかれると「あー。」とお返事。その後、お義兄たまより先についたアダムが声をかけると「あー。」と目を開けたそうです。予防接種を受けに受付に行くと到着したお義兄たまから「早く来い、急変した。」との電話。

 

 待っていたのでしょうね。お息子二人に見送られて安らかに旅立たれました。ただちょっとだけ、ちょっとだけ心残りなのは赤ちゃんを見せたかったな。(妊娠6か月)

リアルタイムでは明日が一周忌の法要です。心も落ち着いて日々過ごしております。

 

次回   第108話 通夜と葬式と大きなお腹と笑い声